沿革
大乘寺は、慶長年間(1596年~1615年の間)に、往譽廓岌上人によって、淡路町(現在の大阪市中央区淡路町)に草創されました。その後、五分市町を経て、元和初年(1615年頃)の松平忠明による大坂都市計画により、現在地に移転されました。

<参考>「浄土宗寺院由緒書」および「天王寺区史」より
住職略歴
現在の書院は、昭和20年3月の大阪空襲により焼失のため、昭和33年(1958年)に多くの檀家様や有縁者のご協力により再建されました。半分が座布団席、もう半分が椅子席となります。 別途、小座敷(全て座布団席)もございます。

 

寺族略歴
 天保13年(1842年)に、多くの檀家様や有縁者のご協力により、再建されたものであり、水場と並び、大阪空襲で焼失をまぬがれた現存する建物です。
建築形式は、江戸後期の代表的な遺構であり、男梁上に大斗絵様肘木・中備蟇股を入れ、この上に虹梁板蟇股を置いて棟木を支えている。また、楕円の絵様は鋭い鑿で彫られており、垂木も直材である。

<夕陽丘の寺院と寺町|調査報告書より>